Last Updated on 2026年7月25日 by Co-Founder/ Researcher
2026年7月23日、米バージニア州タイソンズコーナー発。Anchorage Digital、ARK Invest、BlackRock、Block、Blockstream、Coinbase、Fidelity Digital Assets、Galaxy、Strategyの9社が、Bitcoin Security Consortiumを設立した。ビットコイン・ネットワークの長期的なセキュリティとレジリエンスの支援を目的とし、各社は今後3年間で総額1500万ドルの拠出を表明した。資金は各社が独自に開発者や研究者、組織へ配分する。日常業務の調整は、非営利団体Brinkのエグゼクティブディレクターであるマイク・シュミットがボランティアとして担う。コンソーシアムはプロトコルの開発や指揮は行わない。
From:Leading Financial Institutions & Bitcoin Companies Launch the Bitcoin Security Consortium
【編集部解説】
主役は量子ではなく「開発資金」です
このニュースの見出しは量子コンピューターですが、実際に動いたのはもっと地味で、もっと根深い部分です。Bitcoin Coreを継続的に保守している開発者の層は、集計方法によって数え方が変わるものの、決して厚くはありません。1兆ドルを優に超える価値を守るコードが、その規模の集団によって支えられています。
「誰が開発者に給料を払うのか」という問いは、意思決定機関を持たないビットコインにとって、常に政治的な意味を帯びてきました。だからこそ企業マネーは慎重に扱われ、支援の担い手はBrink、OpenSats、BlockのSpiralといった、ビットコイン・ネイティブな側に偏ってきました。
今回そこに、BlackRock、Fidelity、ARK Investという運用の巨人が並びました。「史上初」と断じる一次資料はありません。ただ、世界最大級のアセットマネージャー3社が同時に開発支援を表明したのは、明らかに異例の出来事です。
1500万ドルという「小ささ」は設計です
3年で総額1500万ドル、年あたり500万ドル。1ドル=164円換算(2026年7月24日時点)で、年約8億2000万円です。9社合計としては、正直に言って小さな数字です。
ただ、この金額は既存のエコシステムの尺度で見ると意味が変わります。開発者に助成金を配る非営利団体Brinkが2025年に開発者の給与と助成へ充てたのは約175万ドル、総支出でも約260万ドルでした。年500万ドルは、その2倍前後にあたります。
一方で、過大評価も禁物です。Brink一団体が2025年に集めた寄付は約780万ドルで、コンソーシアムの年間額を上回っています。9社の総力が、既存の一団体の年間資金調達に届かない。この対比こそ、開発資金という領域の規模感を最もよく表しています。
そして注目すべきは、1500万ドルが共同ファンドではないという設計です。中央の審査委員会に集めるのではなく、各社が自分で選んだ開発者や研究者に、独立して配る。公式に理由が説明されているわけではありませんが、支配力が一点に集まらないようにするための設計だと読めます。
三度繰り返された「口は出さない」
発表文は、自分たちが何をするかよりも、何をしないかに多くの行数を割いています。プロトコルを開発も指揮もしない。特定の変更に立場を取らない。ビットコインやその開発者を代弁しない。
日常の調整役を、メンバー企業の誰でもなくBrinkのマイク・シュミットが無報酬で担うという体制も、同じ意図の延長線上にあると受け取れます。
そのBrinkは、2025年の年次報告で2026年の課題を並べたなかに、「量子への取り組みにどう関わるべきかを見極める」という一行を残していました。公表は2026年5月。その2か月後に、シュミットは9社の調整役として表に出てきます。今回の枠組みが、企業側の思いつきではなく、開発支援の現場から積み上がった話であることがうかがえます。
ここまで念入りに介入を否定するのは、逆に言えば「機関投資家がカネを出せば、いずれ口も出す」という警戒が、この界隈にどれだけ強く存在するかの裏返しでしょう。ただし、各社の拠出額、最初の配分先、1500万ドルのうちどれだけが純粋な増額分なのかは、いずれも公表されていません。評価はこれから示される実績を待つ必要があります。
煽らないこと自体が、セキュリティ対策です
発表文の量子に関する記述は、驚くほど淡々としています。脅威となる大規模量子コンピューターは存在しない、実現は数年先、技術コミュニティはすでに動いている。危機感の演出が一切ありません。
この抑制には理由があります。Googleの量子AI研究チームは2026年3月31日、楕円曲線暗号を破るのに必要な量子リソースの新しい推定を公表しました。256ビットの楕円曲線離散対数問題に対し、論理量子ビット1200未満とToffoliゲート9000万、物理量子ビットは50万未満で、実行時間は数分。物理量子ビット数の見積もりが、従来の約20分の1まで下がったことになります。
同じ文書でGoogleは、開示のあり方についても踏み込んでいます。暗号資産は技術的な安全性と公衆の信頼の両方から価値を得ており、後者はFUDによって攻撃されうる。だから、科学的裏付けを欠いた量子リソースの推定を流布すること自体が、システムへの攻撃になり得るというのです。Googleは推定の正しさをゼロ知識証明で第三者に検証可能にしつつ、攻撃の設計図は公開しないという手法を採りました。
発表文が徹底して煽らなかったのは、慎重さの表れであると同時に、それ自体がひとつのセキュリティ対策だと読めます。タイムラインについても、BIP-361が引くマッキンゼーの推定は早ければ2027〜2030年、Google自身の社内移行目標は2029年、一方でメンバーであるBlockstream創業者のアダム・バックは数十年先という見方を示してきました。見立ては割れています。コンソーシアムは「いつ来るか」ではなく「間に合うように準備を始めておく」ことだけで合意した組織である、と理解するのが妥当でしょう。
本当に難しいのは暗号ではなく移行です
技術的な選択肢は、すでにテーブルの上にあります。BIP-360は2024年12月に採番された提案で、2026年2月にPay-to-Merkle-Root(P2MR)へと改称されました。Taprootからキーパス支出を取り除くことで、チェーン上に長く晒された公開鍵を狙う「長時間露出攻撃」に耐性を持たせるというものです。
ここは正確に押さえておく価値があります。P2MRは万能ではありません。BIP原文自身が、送信時に公開鍵が露出する「短時間露出攻撃」は防げず、その対策にはポスト量子署名の導入が別途必要だと明記しています。ステータスは今もDraftです。
難所はその先です。2026年2月11日に採番されたBIP-361は、ジェイムソン・ロップら6名が起草した「レガシー署名の日没」計画で、Phase AとPhase Bの2段階からなります。Phase Aは活性化から16万ブロック(およそ3年)後、量子脆弱なアドレスへの新規送金を止める。Phase Bはそのさらに2年後、従来のECDSA/Schnorr署名による支出に制限をかけます。
ここでよく誤解されるのですが、Phase Bは単純な凍結ではありません。BIP-361は、正当な保有者だけが満たせる「量子安全な救済プロトコル」による制限を想定しています。BIP-32の強化導出を用いた所有証明や、ZK-STARKベースの手法が検討されており、原文は「救済プロトコルが供給の大部分をカバーできるなら、没収的な性格はせいぜい軽度にとどまる」と述べています。
BIP-361によれば、2026年3月1日時点で全ビットコインの34%超が公開鍵をチェーン上に露出しています。これはBIP著者による集計値です。そこには約170万BTCの古いP2PK出力が含まれ、サトシ・ナカモトのものと推定される残高もそこにあります。ただしP2PKには知識の非対称性がなく、救済プロトコルを構成できないと現時点では考えられています。BIP-361の著者たちが、P2PK向けには別枠の「Hourglass」提案を支持しているのは、そのためです。
BIP-360の共著者イーサン・ハイルマンは、あるインタビューで、合意が成立してから完全移行までに7年かかると見積もっています。BIP本文の公式スケジュールではありませんが、実装、ウォレット対応、ユーザー移行を含めた現実的な体感でしょう。この時間感覚が、危機が可視化される前に資金を投じる理由を説明しています。
日本の読者にとって、これは他人事ではありません
ひとつは、間接的なエクスポージャーです。日本では2026年7月時点で暗号資産ETFの国内上場実績はありません。投資信託及び投資法人に関する法律で暗号資産が投資対象資産に含まれていないためで、金融庁は施行令や金融商品取引法の改正を前提に制度整備を進めています。2026年7月10日には片山さつき財務・金融担当相が解禁を検討する方向を明言したと報じられ、早ければ2028年との見通しも出ています。日本の投資家が制度上のドアを開ける頃、その向こうにあるネットワークがどんな暗号で守られているのか。それは今まさに決まりつつあります。
もうひとつは、これがビットコイン固有の話ではないという点です。NISTは2024年8月にFIPS 203・204・205を確定させ、各国政府と企業が同じ「暗号の移行」という宿題を抱えました。Googleが自社の移行目標を2029年に置いたことも、その一例です。ビットコインが今まさに直面しているのは、あらゆる組織のセキュリティ担当者が近い将来向き合う問題の、先行事例です。
セキュリティ投資は、成功しても何も起きません。何も起きなかったことを成果として説明し、予算を通し続けられるか。今回の1500万ドルは、その難しさに対する、ひとつの回答例として見る価値があります。
【用語解説】
レジリエンス
攻撃や環境の変化を受けても、機能を失わずに動き続ける力のことである。「回復力」と訳されることもあるが、ここでは「壊れにくさ」と「壊れても立て直せること」の両方を含む。
ポスト量子暗号(PQC)
量子コンピューターによる解読に耐えられるよう設計された暗号方式の総称である。影響を受けるのは主にRSAや楕円曲線暗号といった公開鍵暗号であり、対称鍵暗号やハッシュ関数への影響はこれと異なる。
Bitcoin Core
ビットコイン・ネットワークで最も広く使われている主要なオープンソース実装である。ビットコインには公式な標準化機関が存在せず、有志の開発者によって保守されている。
BIP(ビットコイン改善提案)
Bitcoin Improvement Proposalの略。仕様変更や新機能を提案するための公開文書の形式である。採番は議論の出発点にすぎず、採用の決定を意味しない。BIP-360もBIP-361も、2026年7月時点でステータスはDraftである。
BIP-360 / Pay-to-Merkle-Root(P2MR)
2024年12月に採番され、2026年2月にP2MRへ改称された提案である。Taprootからキーパス支出を取り除き、チェーン上に長く晒された公開鍵を狙う長時間露出攻撃への耐性を持たせる。送信時に公開鍵が露出する短時間露出攻撃は防げず、その対策にはポスト量子署名の導入が別途必要となる。
BIP-361
「Post Quantum Migration and Legacy Signature Sunset」と題された提案である。Phase Aで量子脆弱なアドレスへの新規送金を止め、Phase Bで従来署名による支出に制限をかける2段階構成をとる。Phase Bは単純な凍結ではなく、正当な保有者だけが満たせる量子安全な救済プロトコルを想定している。
長時間露出攻撃 / 短時間露出攻撃
前者は、チェーン上に長期間さらされた公開鍵から秘密鍵を導出する攻撃である。時間の制約がないため、最初に現実化する量子脅威と考えられている。後者は、送信トランザクションがメンプールで承認待ちの短時間に同じことを行う攻撃で、はるかに高速な量子コンピューターを必要とする。
楕円曲線暗号(ECC)
ビットコインがECDSA署名およびTaprootのSchnorr署名に用いている暗号方式である。secp256k1曲線上の離散対数問題の困難さに安全性を依存しており、ショアのアルゴリズムを実行できる規模の量子コンピューターが登場すると、この前提が崩れる。
P2PK(Pay-to-Public-Key)
ビットコイン最初期に使われた出力スクリプト型である。厳密には「アドレス形式」ではない。公開鍵がそのままチェーン上に記録されるため長時間露出攻撃に対して脆弱で、サトシ・ナカモトのものと推定される残高もこの形式に含まれる。
CRQC(暗号学的に関連する量子コンピューター)
既存の公開鍵暗号を実際に破れる規模の量子コンピューターを指す用語である。2026年7月時点で存在は確認されていない。
NIST(米国国立標準技術研究所)
米国商務省傘下の標準化機関である。2024年8月13日にFIPS 203、204、205の3標準を確定させ、各国政府や企業の移行計画の起点となっている。
ハーベスト・ナウ、デクリプト・レイター
暗号化データを今のうちに収集しておき、量子コンピューターの実用化後に解読するという攻撃の考え方である。なお、ビットコインの公開台帳自体は暗号化データではないため、ビットコインにおける脅威は署名鍵への攻撃として区別して理解する必要がある。
【参考リンク】
Bitcoin Security Consortium 公式X(外部)
今回設立されたコンソーシアムの公式アカウント。今後ビットコインのセキュリティに関する資料が公開され、進展に応じて更新される予定だ。
Brink(外部)
ビットコインのオープンソース開発者に助成金とメンターシップを提供する非営利団体。調整役のマイク・シュミットが率いる組織である。
Strategy(外部)
今回の発表元であり、世界最大の企業ビットコイン保有者。AIを活用したエンタープライズ分析ソフトウェア事業も手がけている企業である。
BlackRock iShares デジタル資産 目論見書(外部)
量子コンピューティングがビットコインの暗号を無効化しうるリスクを明記。機関が量子リスクを正式に開示している実例といえる資料。
Coinbase 量子コンピューティング諮問委員会(外部)
2026年1月に独立した諮問委員会を設置した際の公式発表。Googleも責任ある取り組みの一例としてCoinbaseに言及している。
Galaxy Bitcoin Quantum Readiness Initiative(外部)
2026年7月21日、コンソーシアム発表の2日前に単独公表された最大500万ドルの助成プログラムに関する公式発表である。
Blockstream(外部)
アダム・バックが2014年に創業したビットコイン・インフラ企業。Liquid Networkを運営し、量子耐性を備えた金融基盤を掲げている。
Anchorage Digital(外部)
米国初の連邦規制下にあるデジタル資産銀行を擁する機関向けインフラ企業。カストディやトークン化の基盤を提供している企業である。
ARK Invest(外部)
キャシー・ウッドが2014年に創業した投資運用会社。人工知能やブロックチェーンなど破壊的イノベーション領域に特化している。
Block(外部)
Square、Cash App、Bitkeyなどを展開する決済企業。ビットコイン開発を支援するSpiralを社内に擁している企業である。
Fidelity Digital Assets(外部)
Fidelity Investmentsの子会社であり、機関投資家向けにカストディと統合取引を提供する。2018年設立、2019年ローンチ。
Bitcoin Core(外部)
ビットコインで最も広く使われている主要なオープンソース実装の公式サイト。ソフトウェアの配布とリリースノートが公開されている。
NIST Post-Quantum Cryptography プロジェクト(外部)
米国国立標準技術研究所によるポスト量子暗号の標準化プロジェクト。標準文書と移行に関する資料が公開されている。
【参考記事】
Safeguarding cryptocurrency by disclosing quantum vulnerabilities responsibly(外部)
楕円曲線暗号の攻撃に必要な量子リソースの新推定と、根拠なき推定自体が攻撃になり得るという開示論を示している。
BIP 361: Post Quantum Migration and Legacy Signature Sunset(外部)
Phase A・Phase Bの仕様、露出済み公開鍵の割合、量子安全な救済プロトコルの考え方が記された一次資料である。
BIP 360: Pay-to-Merkle-Root (P2MR)(外部)
P2MRの設計と、長時間露出攻撃・短時間露出攻撃の定義、出力形式ごとの脆弱性一覧が読める一次資料である。
Brink’s 2025 Annual Report(外部)
寄付約780万ドル、総支出約260万ドル、開発者の給与・助成約175万ドルという内訳が公開された一次資料である。
Galaxy launches Bitcoin quantum computing initiative, commits up to $5 million(外部)
コンソーシアム発表の2日前に単独表明された最大500万ドルの助成と、諮問委員会の構成を報じている。
Bitcoin may take 7 years to upgrade to post-quantum(外部)
BIP-360共著者イーサン・ハイルマンへのインタビュー。合意成立から完全移行まで7年という見積もりの出典である。
Quantum computing and Bitcoin, ELI5(外部)
創設メンバーBlockstreamによる解説。創業者アダム・バックが示す数十年先という見立ての出典である。
NIST Releases First 3 Finalized Post-Quantum Encryption Standards(外部)
2024年8月13日、FIPS 203・204・205の3標準が確定した際の公式発表。各国の移行計画の起点となった。
金融庁 令和8年度税制改正関連資料(外部)
日本で暗号資産ETFが現行制度では組成できないことと、解禁に向けた制度整備の方針が示された一次資料である。
片山金融相「仮想通貨ETF、日本で解禁へ」QUICKセミナー(外部)
2026年7月10日、財務・金融担当相が国内での暗号資産ETF解禁を検討する方向を明言したと報じている。
仮想通貨(暗号資産)ETF、日本で28年にも解禁 資産運用の裾野広がる(外部)
金融庁の制度整備により、早ければ2028年に国内解禁される見通しであることを伝えている。
【編集部後記】
bips.dev/361を開くと、Phase AとPhase Bの仕様表と、2026年3月1日時点で全ビットコインの34%超が公開鍵を露出しているという集計が原文で読めます。Phase Bは単純な凍結ではなく、正当な保有者だけが満たせる救済プロトコルを前提に書かれています。ただしP2PKにはその非対称性がありません。約170万BTCに救済の道が用意されないまま、1500万ドルの資金提供だけを選んだ9社は、Hourglassのような別枠の提案が争点になったとき、どちらの側に立つのか。
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