Last Updated on 2026年9月3日 by Co-Founder/ Researcher
8月13日に公開されたPolygonのソースコード差分は、修正の予告ではありませんでした。すでに直し終えたものの、事後の記録です。Polygon PoSが8月に通した2つのハードフォークは、いずれも非公開の版で先に配られ、メインネットでの有効化を終えてから公開されていました。
Polygon Labsは2026年8月27日、Polygon PoSの2クライアントで修正した脆弱性を公開した。実行クライアントBorのAustinハードフォークでは、ステートシンクの消費ガスがブロックごとの上限に計上されていなかった点と、並列実行のヒントTxDependencyにサイズ制限がなく受信側のピアが落ちうる点を直した。コンセンサスクライアントHeimdallのKyotoハードフォークでは、google.protobuf.Anyの入れ子に上限がなく、細工した1件のトランザクションで全バリデーターに大量のデコード処理を強制できた問題など8件を直した。いずれも非公開の版で先行展開され、有効化後に公開された。前者は障害が観測されず、後者は有効化前に検証されたという。
From: Security releases Review: Bor v2.10.0 (Austin HF) and Heimdall v0.11.0 (Kyoto HF)
【編集部解説】
以下、日時はすべてUTCです。
Polygon Labsが8月27日に公開したのは、脆弱性の中身だけではありません。それをどう直し、どの順で外に出したかという、手順そのものの記録でもあります。
Bor v2.10.0の公開時に出されたプルリクエストには、こう書かれています。これはprivate security releaseの公開版であり、Austinはすでに非公開の版によってAmoyとメインネットの両方で稼働している、と。同じ文書の中で、コードはprivate forkから取り込んだものだとも明かされています。
つまり8月13日に公開された差分は、修正を予告するものではありませんでした。すでに終わっていた作業の、事後の記録です。
順を追うとこうなります。Austinの有効化ブロックは、Amoyが8月5日14時ごろ、メインネットが8月13日14時ごろを見込んで設定されました。そして同じ13日に公開されたプルリクエストでは、すでにAmoyとメインネットの両方でAustinが有効になったとして、公開版がmasterへ取り込まれています。フォーラムでの告知が出たのは、その日の18時00分でした。
Heimdallも同じ形です。8月14日10時33分、v0.11.0-privateという名前でチェックサム付きのバイナリが配られます。ソースへのアクセスは、対応する安定版がメインネットに展開された時点で提供する。告知にはそう書かれていました。Kyotoがメインネットで有効になったのが18日10時10分31秒、ソースが公開されたのが同日20時38分です。
そして10件の修正が何であったかがまとめて語られたのは、27日09時14分でした。
Polygon Labs自身、この順序を隠していません。コンセンサスに影響する修正では標準的な手順として、まず非公開で配り、Amoyで検証し、メインネットで有効化してから、ネットワーク全体が安全になった時点で公開する。総括の冒頭で、AustinとKyotoの両方についてそう述べています。
ハードフォークという言葉について
修正の中身に入る前に、この記事で言う「ハードフォーク」の意味を整理しておきます。
Polygon PoSは2つのソフトウェアで動いています。Borが取引を実行し、Heimdallが合意形成とチェックポイントを担って、その結果を定期的にEthereumへ書き込みます。今回のAustinはBor側、KyotoはHeimdall側の変更です。
そして今回のハードフォークは、Bitcoin Cashのように2つのネットワークが恒久的に分かれることを目的としたものではありません。指定されたブロック高から検証ルールが切り替わり、更新していないノードが正しいチェーンから外れる、という形の互換性のない変更です。
Austinが塞いだ2件
Bor側の2件は、いずれもブロック処理を重くする経路でした。
L1からのブリッジ入金にあたるステートシンクイベントは、通常の取引と同じようにコードを実行します。ところが、そこで消費されるガスが、ブロックごとの上限に対して計上されていませんでした。イベントを大量に、あるいは極端に高コストなものを1つ載せたブロックで、処理が長引きチェーンが一時的に停滞しうる状態です。
もう1件は、並列実行のヒントとしてブロックのextra-dataに載せていたTxDependencyです。サイズ制限がなく、ブロック生成者が巨大なデータを詰めた有効なブロックを作れば、それを受け取ったノードが処理の途中で落ちる可能性がありました。Austinはこのフィールドをワイヤフォーマットから丸ごと削除しています。ヒントを信頼しなくても並列実行は正しく動くためです。
Polygon Labsは、この2件をコンセンサスの正しさに関わる問題ではなく、リソースを枯渇させる経路だと明確に位置づけています。そして、メインネットで障害を引き起こしたことは観測されておらず、悪用に先回りして対処したと述べています。
Kyotoで最も重かった一件
Heimdall側で最も重いとされたのは、入れ子の問題でした。
Heimdallのトランザクションは、中身のメッセージをgoogle.protobuf.Anyという型で包みます。このAnyは、中にさらにAnyを入れられます。上限がなければ、深く入れ子にした1本のトランザクションを送るだけで、それを受け取ったすべてのバリデーターに、一斉に大量のデコード処理を強いることができました。
Polygon Labsはこれを、バリデーター全体に高コストな処理を一斉に強いる、許可の要らない経路と表現しています。作る側は安く、受ける側は高い。TxDependencyのほうがブロック生成者という立場を必要としたのに対し、こちらは誰でも引き金を引ける形でした。
パーミッションレスであることは、ふだんは参加の自由を意味します。ところがこうした欠陥がある瞬間だけは、攻撃面の広さに転じます。
Kyotoが入れたのは、バイト単位で入れ子の深さを事前に走査し、閾値を超えたトランザクションを弾く仕組みです。丁寧なのは、mempoolの受付と合意経路の両方に、同じ判定を置いた点でしょう。片方で通り、もう片方で弾かれる状態は、それ自体がネットワークの足並みを乱す原因になります。閾値は、正当なトランザクションが到達しない水準に置かれています。
残る7件は、手数料コイン数の上限、チェックポイント署名の正規化、マイルストーンの会計、L1イベントの重複処理など、合意形成まわりを個別に堅牢化するものです。Polygon Labsはこれらについて、両ハードフォークの有効化前にすべて解決し検証したとしています。
Valenciaでも同じ形が取られていた
ここで、もう一つ目を引く事実があります。
Austinの一つ前にあたるBor v2.9.0、Valenciaハードフォークの公開時にも、同じ形が取られていました。非公開で先行展開したものを、あとから公開版として取り込む。しかもValenciaが手をつけていたのは、ステートシンクの扱いとTxDependencyの検証という、Austinとまさに同じ領域です。Austinはそこからさらに進んで、ステートシンクについては実行時のガスにも上限を設け、TxDependencyは検証する段階をやめてフィールドごと消しました。
つまり今回の一件は、突発的な対応ではありません。同じ領域に防御を重ねながら、そのたびに非公開先行で展開する運用が、少なくとも2回続いていたことになります。
公開されていることの逆説
ここからが、この一件をCrypto Verseとして取り上げる理由です。
パブリックチェーンには、構造的な逆説があります。コードが公開されていることは、ふだんは安全性の根拠です。誰でも読め、誰でも検証できるから信頼できる。ところが未修正の欠陥が存在する瞬間だけ、その公開性は攻撃者への地図に変わります。修正の差分は、それ自体が「ここに穴がありました」という告知だからです。
だから直す側は、一時的に検証可能性を手放すという判断をします。v0.11.0-privateという名前も、public counterpartという言い回しも、その判断がそのまま形になったものです。
修正を先に配り、詳細の開示を後回しにする運用には、先例があります。Ethereumには重大な脆弱性の開示記録を後から公開する仕組みが置かれていますし、Bitcoin Coreも2018年のインフレーションバグでは、修正版を先に出したうえで深刻度を後から全面開示しました。世界中に散らばったノードへ更新の時間を確保するため、こうした形が採られることがあります。
私たちは7月に、Polygonがステーブルコイン送金の件数で全チェーンの首位に立ったことを取り上げました。決済のレイヤーとして選ばれつつあるチェーンが、その内部では、公開の前に非公開の期間を置く運用で守られていた。これは責める材料ではなく、パブリックチェーンに資産や決済を預ける側が知っておくべき運用の実像として読むのが正確だと考えます。
「Don’t trust, verify(信じるな、検証せよ)」という原則は、いつでも検証できることを前提にしています。その前提は、安全を理由に、限られた期間だけ後ろにずれることがある。知ったうえで使うことと、知らずに使うことのあいだには、はっきりした差があります。
ノードを動かしている人へ
実務としていちばん重いのは、期限がすでに過ぎている点です。
Bor v2.10.0は全ノードに、Heimdall v0.11.0はすべてのバリデーターとフルノードに必須で、どちらもメインネットで有効化を過ぎています。追随できているノードの通常の更新であれば、ステートの移行もジェネシスの変更も再同期も要りません。バイナリを入れ替えるだけです。
ただし、旧版のまま有効化のブロック高を越えてしまったノードは事情が違います。Polygon Labsは、この場合は更新したうえでハードフォーク前の高さへ戻し、そこから再同期すれば復帰できると案内しています。
自分でノードを立てていなくても、無関係ではありません。ウォレットやアプリが参照しているRPCの提供元が同じ状態にあれば、返ってくる残高や取引履歴が、正しいチェーンのものではない可能性があります。
なお、Polygonの公式ドキュメントにあるハードフォーク活性化の一覧は、現時点ではBhilaiまでを収録しています。AustinとKyotoの活性化ブロック高は、フォーラムの告知とGitHubのリリースノートに置かれています。運用者が最初に見る場所がどこに揃っていくかは、これから整えられていく部分でしょう。
Polygonが今回公開したのは、有効化を終えてから振り返って書かれた、10件の修正の記録です。
ネットワークが止まったという話も、資産が流出したという話も出ていません。ふつうなら記事にならない種類の出来事でしょう。それでも、何をどう直したのかを一件ずつ書き残す判断がなされました。チェーンがどこで壊れうるのかを、実害が語られる前に読める機会は、そう多くありません。
止まらなかったネットワークの裏側で、何が支えられていたのか。今回の開示は、その一端を見せてくれています。
【用語解説】
Polygon PoS
Ethereumの外側で取引を処理し、その結果を定期的にEthereumへ書き戻すネットワークだ。2つのソフトウェアの組み合わせで動いている。
Bor
Polygon PoSの実行クライアント。取引を実際に処理し、ブロックを組み立てる役割を担う。Austinハードフォークはこちら側の変更である。
Heimdall
Polygon PoSの合意形成クライアント。バリデーターの管理、ブロック生成者の選出、チェックポイントのEthereumへの提出を担う。Kyotoハードフォークはこちら側の変更。
ハードフォーク
互換性のないルール変更を指す。指定されたブロック高から検証ルールが切り替わり、更新していないノードは正しいチェーンから外れる。チェーンを恒久的に2つへ分けることが目的とは限らない。
有効化ブロック高
新しいルールが適用され始めるブロックの番号。この番号を境に、更新済みのノードと未更新のノードで見ている履歴が分かれる。
ステートシンク
Ethereum側で起きた出来事をPolygon PoS側へ反映する仕組み。ブリッジ経由の入金がこれにあたり、通常の取引と同じようにコードを実行する。
TxDependency
ブロックのextra-dataに載せられていた、並列実行のためのヒント。どの取引が互いに衝突しないかを示すものだった。Austinでワイヤフォーマットから削除された。
google.protobuf.Any
任意のメッセージを包める汎用のデータ型。中にさらに同じ型を入れられるため、入れ子の深さに上限がないと、解く側の負荷が跳ね上がる。
チェックポイント
Polygon PoS側の取引をまとめてEthereumへ提出する仕組み。これが通ることで、Ethereum側から見た確定が得られる。
マイルストーン
Heimdall内部で確定を扱う単位。チェックポイントより短い間隔で、どこまでを確定とみなすかを決める。
mempool
ブロックに取り込まれる前の取引が待機する場所。ここでの受付判定を通った取引が、合意の経路へ進む。
パーミッションレス
参加に許可を必要としない性質を指す。誰でも取引を送れることを意味し、通常は開かれていることの利点として語られる。
Amoy
Polygon PoSのテストネット。今回の2つのハードフォークは、いずれもメインネットより先にここで有効化され検証された。
Valencia
Austinの一つ前にあたるBorのハードフォーク。ステートシンクとTxDependencyという、Austinと同じ領域に手を入れていた。
Don’t trust, verify(信じるな、検証せよ)
第三者の言葉を信じるのではなく、自ら検証せよという原則。ブロックチェーンの設計思想の中核にある考え方。
【参考リンク】
Polygon Community Forum(外部)
Polygon PoSのリリース告知とセキュリティ総括が置かれる公式フォーラム。今回の10件の開示もここで公表されている。
Polygon Developer Docs(外部)
ノード運用者向けの公式ドキュメント。過去のハードフォークの活性化ブロック高の一覧と、更新の手順や進め方をまとめて収録している。
0xPolygon/bor(外部)
Polygon PoSの実行クライアントBorの公式リポジトリ。Austinの公開版と、その経緯を記したPRが置かれている。
0xPolygon/heimdall-v2(外部)
合意形成とチェックポイントを担うHeimdallの公式リポジトリ。Kyotoを含むv0.11.0の公開版と署名付きの配布物を収める。
PolygonScan(外部)
Polygon PoSのブロックエクスプローラ。有効化ブロック高の実際のタイムスタンプや、任意の取引をここで確認できる。
ethereum/public-disclosures(外部)
Ethereumが重大な脆弱性の開示記録を、修正を各クライアントへ展開し終えた後になってから公開するための公式リポジトリ。
Bitcoin Core(外部)
Bitcoinの参照実装の公式サイト。CVE-2018-17144をはじめとする、過去の脆弱性開示の記録も置かれている。
【参考記事】
Release v2.10.0 (Austin hardfork) #2360(外部)
Austinの公開版を取り込んだプルリクエスト。これは非公開のセキュリティリリースの公開版であることが、冒頭に明記されている。
Release v2.9.0 #2295(外部)
一つ前のValenciaハードフォークの公開版。非公開で展開したものを事後に取り込むという、Austinとまったく同じ形が確認できる。
Heimdall v0.11.0(外部)
Kyotoのメインネット有効化を8月18日10時10分31秒と秒単位で記録し、あわせてソースコードを公開したときの告知。
Heimdall v0.11.0-private Mainnet(外部)
ソースコードを伏せ、チェックサム付きのバイナリのみを配布した告知。ソースは安定版のメインネット展開後に提供すると明記されている。
Disclosure of CVE-2018-17144(外部)
修正版を先に公開し、インフレーションの脆弱性であるという全容の開示を遅らせた経緯を、Bitcoin Core自身が説明した記録。
Polygon discloses security flaws fixed in recent hard forks(外部)
今回の開示を報じた記事。Bor・Heimdallの主要な修正と、有効化を過ぎたノードが合意から外れている点をまとめている。
Polygon Labs issues urgent client upgrade notice following Austin and Kyoto hardforks(外部)
同じ開示を扱った記事。8月28日時点でBorの最新版がv2.10.1であること、Heimdallが手数料コインを1つに限る点に触れている。
【Crypto Verse関連記事】
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【編集部後記】
8月13日のフォーラム告知を、もう一度読み返してみてください。サービスの停止、インストール、バージョン確認。淡々とした運用の手順が並ぶだけで、「セキュリティ」という語はどこにもありません。
中身を知るには、末尾に置かれた変更履歴のリンクを開く必要がありました。開いた人と、開かなかった人。同じ日に同じ告知を読んでも、手にした情報はまったく違っています。ふだん使っているウォレットの接続先は、どちらの読み方をしていたでしょうか。
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