Last Updated on 2026年9月9日 by Co-Founder/ Researcher
韓国銀行の研究者が調べたのは、ステーブルコインの危険性ではありませんでした。バイナンスがその国の通貨のペアを出しているかどうか。たったそれだけの違いで、為替への影響が出る国と出ない国に分かれています。ウォンは出ない側でした。そして日本円も、いまは同じ側にいます。
韓国銀行は2026年9月3日、BOKイシューノート「ドル建てステーブルコインと外国為替市場の連関性:グローバル取引所の役割を中心に」を公表した。国際局国際金融研究チームのキム・ジヒョン、チョ・サンフムの両氏が執筆した。バイナンスにおける法定通貨とドル建てステーブルコインの取引ペア新規上場を事象とし、12通貨の2019年から2025年までのデータを分析している。ペア上場後、ステーブルコインのプレミアムは有意に縮小し、韓国メディアは縮小幅を0.33〜0.38%ポイントと報じている。
同時に、需要ショックが為替レートへ伝わる度合いは強まった。一方、バイナンスにウォンのペアがない韓国では、買い圧力は主にプレミアムの上昇に吸収され、為替レートへの有意な影響は観測されなかった。
From:
Dollar stablecoins can weaken local currencies, BOK finds
【編集部解説】
このレポートを伝えた海外メディアの見出しには、韓国銀行が何かを突き止めた、という形のものがあります。ただ、韓国メディアの報道によれば、レポートの末尾には、これが韓国銀行の公式見解ではなく執筆者個人の見解である、という断りが置かれています。中央銀行の職員が書いた実証研究であって、中央銀行が国として下した判断ではありません。ここを取り違えると、以降の読み方がずれていきます。
そのうえで中身を見ると、このレポートが立てている命題は「ドル建てステーブルコインが通貨を弱くする」ではありません。為替への影響が強まるかどうかは、市場構造に左右される。原典が紙幅を割いているのは、こちらのほうです。
何を「事象」として使ったのか
因果を測るのは難しい作業です。通貨が弱いからステーブルコインが買われるのか、ステーブルコインが買われるから通貨が弱くなるのか。新興国の平時のデータを眺めているだけでは、この2つは切り分けられません。デジタルドルへの需要は、自国通貨への信認が揺らいでいるときにこそ増えるからです。
そこで研究チームが持ち出したのが、バイナンスがある法定通貨とドル建てステーブルコインの直接取引ペアを新しく出した瞬間でした。ペアの導入によって、グローバルな中間業者が取引の相手方として直接参加できる市場構造が生まれます。その前後を比べることで、市場構造そのものの効果を取り出しています。
顔ぶれの何が変わるのか。ペアがない国では、その通貨でステーブルコインを買いたい人は、国内取引所や相対取引、あるいは仲介業者を経由することになります。グローバルな中間業者が直接の相手方に立つ経路はありません。ペアが出ると、そこに流動性供給者やマーケットメイカーが取引相手として入ってきます。彼らは両方の市場に口座を持っています。
受け取った通貨を、彼らはどこで処理するのか
ここが経路の核心です。トルコリラでドル建てステーブルコインを売った業者は、手元にリラが積み上がり、ドル連動の資産を手放した状態になります。ポジションを平らに戻すには、リラを売ってドルを買う。ステーブルコインの買い注文が、外国為替市場でのリラ売りに変換されます。
レポートはこの経路の前後で2つの変化を測っています。ひとつは価格統合。ペア上場後、ステーブルコインが現物為替レートより高く取引される度合い、いわゆるプレミアムが有意に縮小しました。縮小幅は分析モデルにより0.33〜0.38%ポイントと報じられています。国内価格が海外より高くなると、バイナンスから現地市場へコインが流れ込む動きも観測されています。
もうひとつがショック伝達です。ペア上場前は、プレミアムの動きが対ドル為替レートに与える影響は限られていました。上場後は、プレミアムの上昇が当該通貨の有意な減価と結びつくようになります。買い手主導のネット注文フローについても、同じ方向の関係が確認されました。
同じことが起きた市場と、起きなかった市場
そして韓国です。バイナンスはウォンとドル建てステーブルコインの直接ペアを出していません。国内の買い圧力は主にプレミアムの上昇に吸収され、為替レートへの有意な影響は観測されませんでした。
これを「韓国の通貨は強かった」と読むのは、原典の読み違いです。グローバル中間業者がウォンを受け取る立場に立てなかったので、外国為替市場で戻す玉がそもそも発生しなかった。ただそれだけのことです。韓国の暗号資産市場が小さいわけでもありません。ウォン建てでのステーブルコイン購入額は、2025年6月までの12か月間で約650億ドルに達したと、2025年に公表されたChainalysisの資料は報告しています。アジア太平洋で最大の規模です。需要は大きく、経路だけが閉じている。それが観測された状態でした。
だから執筆者2人は、韓国で法人と外国人の参加が広がれば連関は強まりうる、と書いています。これは予言ではなく、構造から出てくる帰結です。
日本は、どちらの側にいるのか
日本の読者にとって、この論文がいちばん刺さるのはここだと思います。
Binance Japanは、日本円の入出金ができるのは自社のユーザーだけであり、Binance.comの口座から日本円を入出金することはできない、と明記しています。少なくともバイナンスにおいて、日本円の経路はグローバル側と分離されている。研究が韓国について観測したのと、同じ構造です。
ただし、これはこの論文が測った結論ではありません。公表資料で確認できる範囲では、日本円は分析対象として示されていません。韓国について言えることを、そのまま日本に当てはめる根拠もありません。構造が似ている、というところまでが言えることです。
そのうえで、日本にも動いている変数はあります。2026年に入って国内では、RLUSDが4号電子決済手段として取り扱いを始め、USDCの流通も広がりつつあります。ドル建てステーブルコインが日常の金融の側に入ってくる流れは、すでに始まっています。円建てのステーブルコインをどう育てるかという議論と、ドル建てのステーブルコインが円とどこで接続するのかという議論は、別々に置いておける話ではないというのが、このレポートから引ける示唆です。
規制だけを設計しても足りない、という提言
原典の結びは、規制だけを整えるという話ではありません。デジタル資産の制度整備は、ウォンの国際化と外国為替市場の流動性を深める取り組みとあわせて検討すべきだ、という提言です。
執筆者らは、ウォンの国際化と外国為替市場の流動性拡充によって、市場のショック吸収能力を高められると示唆しています。閉じることで守るのではなく、厚くすることで受け止める。この方向の整理が中央銀行の研究者から示されたことは、記録しておく価値があります。
韓国では現在、デジタル資産基本法の議論が続いており、ステーブルコインの発行主体をめぐる論点はまだ定まっていません。金融委員会は9月3日、2026年内に法案の主要な内容をまとめる計画を国会へ報告しました。同じ報告資料によると、関連インフラを整えるタスクフォースは2028年まで運営される計画です。この論文は、その議論の机の上に、為替市場という一枚の地図を追加したことになります。
ステーブルコインは、これまで決済の速さや手数料の文脈で語られてきました。そこに、通貨の交換がどこで起きるのかという問いが加わりました。トークンが国境を越えるとき、その裏側で誰かが法定通貨を交換している。今回の研究は、その接続点がどこで開き、どこで閉じているのかを実データで描いています。次に問われるのは、円やウォンのように接続されていない通貨が、どういう順序で、何を用意してから開いていくのかという設計です。
【用語解説】
ドル建てステーブルコイン
米ドルに価値を連動させるよう設計された暗号資産。1枚あたりの価格を1ドル近辺に保つことを目標とする。経済的にはドルへのアクセス手段であり、その点で他の暗号資産とは性格が異なる。
プレミアム
ステーブルコインが現物為替レートで換算した価値より高く取引されている度合い。各国の暗号資産取引所と、ドルを直接売買する外国為替市場とでは市場構造が異なるため、需要が供給を上回ると乖離が生じる。
現物為替レート
外国為替市場で通貨を直物取引する際のレート。本稿ではステーブルコインの価格を比較する基準として使われている。
価格統合
2つの市場のあいだで裁定取引がおこなわれ、ステーブルコインの価格が現物為替レートに近づいていく現象。本稿が測った連関の1つ目である。
ショック伝達
ステーブルコイン市場で生じた需要ショックが、実際の外国為替取引を引き起こし、為替レートの変動につながる経路。本稿が測った連関の2つ目である。
グローバル中間業者
ステーブルコイン市場と外国為替市場の双方にアクセスできる取引主体。専門の市場調成者、流動性供給者、ヘッジファンドなどを指す。両市場をまたげるため、裁定取引とポジション調整の両方をおこなえる。
流動性供給者
市場に継続的に売買の注文を出し、取引を成立しやすくする業者。
マーケットメイカー
売値と買値の双方を提示して取引の相手方を務める業者。受け取ったポジションを、別の市場で解消する必要が生じる。
ネット注文フロー
一定期間の買い注文から売り注文を差し引いた正味の量。買い手主導のネット注文フローは、その市場の需要圧力を表す代理変数として使われる。
BOKイシューノート
韓国銀行が公表する調査研究シリーズ。職員が執筆し、韓国銀行の公式見解とは区別される。
ウォンの国際化
韓国ウォンが国外でより広く保有・決済・取引されるようにする政策方向。取引の相手方と流動性が増えることで、市場のショック吸収力が高まると期待される。
4号電子決済手段
日本の資金決済法における電子決済手段の区分の1つ。特定信託受益権が該当する。
デジタル資産基本法
韓国で立法作業が続いている、暗号資産に関する第2段階の法制。ステーブルコインの発行・流通の枠組みや、事業者への規制を対象とする。
【参考リンク】
韓国銀行 BOKイシューノート(韓国語)(外部)
本稿の原典にあたる韓国銀行の韓国語ページ。回帰結果と図表を収めたPDF本文が添付されており、英語版のアブストラクトより詳しい。
Binance Japan 法定通貨(JPY)出金方法(外部)
日本円の入出金がBinance Japanの口座で完結し、Binance.comの口座からは行えない仕組みを示した公式サポートページ。
Chainalysis Crypto Adoption Accelerates in APAC Region(外部)
アジア太平洋地域の暗号資産利用を集計した公式ブログ。ウォン建てステーブルコインの購入規模を国別に報告している。2025年公表。
【参考記事】
한은 “달러 스테이블 코인 거래 늘면…환율도 영향 받는다”(外部)
ソウル経済。プレミアムの縮小幅を0.33〜0.38%ポイントと明記したうえで、執筆者2名それぞれのコメントを併せて伝えている。
스테이블코인 수요 충격, 환율로 번진다…글로벌 거래소가 통로(外部)
EBN。対象通貨にユーロ・トルコリラ・南アフリカランドを挙げ、本稿が韓国銀行の公式見解ではない旨を記事の末尾に記載している。
한은 “국내 가상자산 시장 외국인 참여, 환율 변동성 키워”(外部)
ヘラルド経済。12通貨・2019〜2025年という分析範囲と、グローバル中間機関の関与の有無が結果を分けた構図を伝えている。
Dollar-backed stablecoins can push local currencies lower, Bank of Korea study finds(外部)
CoinDesk。Chainalysisのウォン建て購入額を引きながら、韓国が域内で最大の市場である事実を位置づけている記事。
韓国金融委、デジタル資産インフラTFを2028年まで運営 基本法の年内策定急ぐ(外部)
bloomingbit。金融委員会が9月3日に国会へ提出した定期国会報告資料をもとに、立法日程と後続作業の見通しを伝えている。
【Crypto Verse関連記事】
韓国銀行BOKイシューノート「ステーブルコインが通貨に届く条件」を、より広い文脈で理解するための関連記事をご案内します。韓国の暗号資産制度整備・ステーブルコイン国際比較・日本のドル建てステーブルコイン導入動向・アジア圏の並走事例を横断的に読むことで、「開くかどうかを決めるのは誰なのか」という問いが立体的に見えてきます。
韓国の暗号資産制度整備・アジア圏動向
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【編集部後記】
気になったのは、この経路を開けたり閉じたりしているのが、取引所の上場判断だという点です。バイナンスがどの通貨のペアを出すかは、一民間企業の商品判断にすぎません。制度でも条約でもない決定が、その国の通貨が受けるショックの通り道を左右している。研究はそこを測ったわけではありませんが、読み終えてしばらく、その非対称が頭に残りました。開くかどうかを決めるのは誰なのか、という問いです。
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