Last Updated on 2026年11月1日 by Co-Founder/ Researcher
約63億ドルが流出した夜、Arbitrum One上では攻撃者のアドレスから約8,426ETHが出ていきました。動かしたのは攻撃者ではなく、攻撃者の署名もありません。資金を止める権限、そして動かす権限は、誰がどんな手続きで持っているのでしょうか。オンチェーンの記録からたどります。
Binanceから約63億ドル相当の暗号資産が流出した事件で、Arbitrumのセキュリティカウンシルは2026年10月30日0時08分(UTC)、Ethereum上で緊急措置を実行した。流出に関係するアドレスがArbitrum One上に持っていた8,425ETHと74,559,805.2ARBを、専用のアドレスへ移転・隔離した。これは被害者への返還が完了したことを意味しない。
Ethereum上のInboxコントラクトを一時的にアップグレードして関数を加え、2件のクロスチェーン取引で資金を移したあと、元の実装に戻した。公式フォーラムの報告は、移転した資金はArbitrumDAOのガバナンス投票でのみ動かせるとしている。一方、別の公式説明を引用した報道では、Security Councilによる追加措置またはDAO投票に言及しており、資金を再移動できる主体について説明に差がある。緊急措置自体は憲章上、12人中9人の承認で実行できる。
From: Security Council Emergency Action, 30/10/2026
【編集部解説】
2026年10月29日20時05分(UTC)ごろに始まったBinanceからの流出は、約63億ドル相当にのぼります。その夜の対応は、仕組みのまったく違う三つの層から見ることができます。
一つ目はステーブルコインの発行体です。オンチェーンの記録では、TetherがEthereum上で最初のアドレスをブラックリストに加えたのは21時01分35秒でした。流出の開始から約56分後です。Circleも21時04分59秒に、同じ受け取りウォレットにあった8億2,300万USDCを凍結しています。
二つ目がArbitrumです。日付が変わった0時08分35秒、Ethereum上でセキュリティカウンシルの緊急措置の取引が実行され、0時18分20秒、攻撃者がArbitrum One上に持っていたETHが0x0000…0DA0というアドレスへ移されました。ARBも同じアドレスへ移されています。ここで確認できるのは資金の移転・隔離であり、被害者への返還ではありません。
三つ目は、発行体がアドレスを凍結する仕組みを持たない資産です。Bitcoinの18,270.2BTCは、ブロック973,732で受け取られたあと1,000BTC単位の出力と端数に分けて送り出されました。
攻撃者の署名なしに、資金が動いた
なかでもArbitrumの措置は、これまでの「凍結」とは性質が違います。
ステーブルコインの凍結は、発行体のコントラクトにもともと備わっているブラックリストの機能を使います。ブラックリストに入れても資金は別のアドレスへは移らず、そのアドレスからの移転が止まります。USDTには、凍結した残高を破棄する別の機能もあります。
Arbitrumの公式報告によれば、セキュリティカウンシルは、EthereumからArbitrumへ取引を届ける入口であるInboxコントラクトを一時的にアップグレードし、sendUnsignedTransactionOverride という関数を加えました。そのうえで2件のクロスチェーン取引を送り、資金を攻撃者のアドレスから凍結用のアドレスへ移し、Inboxを元の実装に戻しています。Arbitrum One上には、0時18分20秒に、攻撃者のアドレス(0x3e2b…32d5)を送り元とし、0x0000…0DA0を宛先とする約8,426ETHの取引が記録されています。署名を持たない取引の種類として処理され、成功しています。攻撃者は何も署名していません。それでも、攻撃者のアドレスから資金が出ていきました。
Ethereum上の取引は、Arbitrumの公式のアドレス一覧で「Security Council (L1, emergency)」と記されたマルチシグを通じて実行されています。取引データに記された送付額は8,425.998ETHで、公式報告の「8,425ETH」は端数を切り捨てた表記とみられます。ARBは74,559,805.2ARBで、報告と一致します。
その権限は、憲章に書いてある
この措置は、ルールの外で行われたものではありません。Arbitrum DAOの憲章は、セキュリティカウンシルに「緊急措置」の権限を与えています。12人の署名者のうち9人が承認すれば、遅延なしに任意のアップグレードを実行できるというものです。
憲章は同時に、この権限を真の緊急事態に限ること、使ったあとは何をなぜ行ったかを説明する透明性報告を出すこと、そしてDAOが憲章改正によって権限を縮小・廃止できることも定めています。今回の公式報告は、Ethereum上の実行から約1時間15分後に出されています。公式フォーラムの報告によれば、移した資金はArbitrumDAOの投票でのみ動かせるとされ、その投票は関係者と調整して進めると説明されています。ただし、別の公式説明を引用した報道ではSecurity Councilによる追加措置にも言及があり、再移動の権限については説明に差があるため、DAOだけが唯一の実行主体だと断定するには追加確認が必要です。
緊急措置の権限は憲章に記され、実行記録はオンチェーンと事後報告に残されました。一方、移転先の資金を再び動かす権限の説明には差があり、今後の扱いを判断する手続きも含めて確認が必要です。止める権限を持つこと自体より、その権限をどう縛り、どう見張るかが設計されている点に、この措置の意味があります。
発行体は、取引所のウォレットも止めた
ステーブルコインの側でも、注目しておきたい記録があります。
確認したブロック26,300,586〜26,302,086の範囲では、TetherがEthereum上でブラックリストに加えたアドレスは9件ありました。そのうち22時06分23秒に加えられた1件は、Etherscanで「Binance 14」とラベルの付いたアドレスです。Circleも23時53分35秒に、同じアドレスをブラックリストに入れています。
このアドレスは、攻撃に使われたBinanceのホットウォレットそのものでした。オンチェーンでは、20時20分59秒に攻撃者側のアドレスが、EIP-7702の認可データ50件を含む取引を送っています。異なるnonceに対応する認可のうち1件が有効となり、このウォレットは攻撃者のコントラクトを実行する状態になりました。約3分半後の20時24分23秒には、大量の資産が引き出されています。Binanceがこの委任を外したのは、翌0時10分35秒です。分析会社のEllipticやBitqueryも、このウォレットが攻撃者のコードを実行する状態になったと分析しています。
Tetherがこのアドレスをブラックリストに入れたのは、委任がまだ外れていない時間帯でした。確認した範囲では、TetherとCircleがこのアドレスを対象にした理由は公表されていません。ただ、侵害された取引所のウォレットも、発行体のブラックリストの対象になりうることは、記録から読み取れます。
発行体による凍結がない18,270BTC
一方で、Bitcoinには発行体がアドレスを凍結する仕組みがありません。オンチェーンでは、受け取り用のアドレスに11件の送金で計18,270.2BTCが届き、そこから1,000BTC単位の出力と端数に分けて送り出されています。1,000BTCを受け取ったアドレスのうち確認した5つは、10月31日1時21分(UTC)の取得記録で、受け取った1,000BTCを1枚も使っていません。その後に届いているのは、少額の送金だけです。
分析会社Ellipticは、発行体が凍結できない資産を、10月30日時点で約32億3,000万ドル相当と推計しています。Bitcoinの側では、資金の動きを追い続け、交換業者などの出口で換金を食い止めることが中心になります。9月に取り上げたBitgetの流出でも、XRPのようなネイティブ資産は誰にも凍結できないことが課題になりました。
自分の資産を、誰が動かせるのか
今回の三つの層は、利用者の側から見ると、それぞれ違う問いを投げかけています。
USDTやUSDCを持つことは、発行体が自分のアドレスを止められる仕組みを受け入れることです。Arbitrum Oneに資産を置くことは、緊急時に12人中9人の署名で、自分の署名なしに資産が動かされうる仕組みを受け入れることでもあります。そしてBitcoinには、発行体による凍結がない代わりに、盗まれたときにも同じような凍結は働きません。
どれが正しいという話ではありません。今回、発行体による凍結や各チェーン上の措置が行われました。公表された集計では流出額の4割を超える額が凍結などの対象とされていますが、これは集計時点の推計であり、資金の返還完了額を意味するものではありません。大切なのは、自分が使うチェーンやトークンについて、「誰が、どんな手続きで、自分の資産を止めたり動かしたりできるのか」を知ったうえで選ぶことです。
Arbitrumの公式フォーラム報告では、移転した資金の扱いは今後のDAO投票に委ねられるとされています。ただし、再移動の権限については別の公式説明を引用した報道との間に差があるため、手続きの詳細は引き続き確認が必要です。止めた資金を誰にどう戻すのかが、どの手続きで決まるのか。その手続きの一つひとつが、「止める権限」を社会に受け入れられる形にしていく記録になるはずです。
【用語解説】
Arbitrum One
Arbitrumは、Ethereum上に構築されたLayer 2スケーリングソリューションである。Arbitrum Oneはその主要なネットワークで、取引の処理をEthereumの外で行い、結果をEthereumに記録する。
セキュリティカウンシル
Arbitrumの憲章が定める12人の委員会。マルチシグの署名者として、12人中9人の承認で、緊急時に遅延なしでアップグレードなどを実行できる。
マルチシグ
複数の鍵の署名がそろったときにだけ取引を実行できるウォレットの仕組み。「12人中9人」のように、必要な署名の数を決めておく。
Inbox
EthereumからArbitrumへメッセージや取引を届ける入口のコントラクト。今回はこれが一時的にアップグレードされた。
クロスチェーン取引
あるブロックチェーンから別のブロックチェーンへ送られる取引やメッセージ。今回はEthereumからArbitrum Oneへ送られた。
DAO
DAOは、ブロックチェーン上でスマートコントラクトにより運営される分散型組織である。中央管理者を置かず、トークン保有者による提案や投票を通じて、資金管理やプロトコルの主要パラメータを決定する。
ブラックリスト
ステーブルコインの発行体が、特定のアドレスからのトークンの移転を止めるために使う機能。USDTやUSDCのコントラクトに備わっている。
EIP-7702
Ethereumの改善提案の一つ。通常のアドレスが、署名した許可(認可データ)に基づいてスマートコントラクトのコードを実行できるようにする。委任は変更・解除するまで続く。
nonce
アドレスごとに取引の順番を数える番号。EIP-7702の認可データにも含まれ、番号が合わない認可は無効になる。
ホットウォレット
インターネットに接続した状態で暗号資産を管理するウォレット。取引所が出金の処理などに使う。
ネイティブ資産
ブロックチェーンそのものに組み込まれた資産。BitcoinのBTCやXRP LedgerのXRPなどで、発行体がアドレスを凍結する仕組みを持たない。
【参考リンク】
Arbitrum Foundation(外部)
Arbitrumのエコシステムを支える財団。ArbitrumDAOの憲章やセキュリティカウンシルのメンバー、ガバナンスの文書を公開している。
Tether(外部)
米ドル連動のステーブルコインUSDTの発行体。今回はEthereum上で、流出に関係する9件のアドレスをブラックリストに加えた。
Circle(外部)
米ドル連動のステーブルコインUSDCの発行体。今回は流出の受け取りウォレットにあった8億2,300万USDCを、約1時間後に凍結した。
Binance(外部)
世界最大の暗号資産取引所。約63億ドル相当の流出について、第1報・第2報をはじめとする続報を公式のお知らせページで公開している。
Elliptic(外部)
英国のブロックチェーン分析会社。今回の流出額を64.3億ドルと推計し、発行体が凍結できない資産を約32億3,000万ドル相当と見積もった。
TRM Labs(外部)
米国のブロックチェーン分析会社。今回の流出について、発行体ごとの凍結の時系列やEIP-7702の悪用の手口をまとめた分析を公表した。
【参考記事】
The Amended Constitution of the ArbitrumDAO(Arbitrum DAO)(外部)
ArbitrumDAOの憲章。Section 3で、セキュリティカウンシルの緊急措置の権限と9-of-12の承認、事後の透明性報告を定める。
Binance Hack: $6.3B Drained on 9 Chains, $2.7B Frozen(Bitquery)(外部)
Binance 14へのEIP-7702の委任の設定・引き出し・解除と、Arbitrum上の移転を、取引ハッシュ付きで時系列にまとめた。
The largest theft in history: North Korea likely behind the $6.4 billion Binance hack(Elliptic)(外部)
流出額を64.3億ドル、凍結額を28.4億ドルと推計。発行体が凍結できない資産を約32億3,000万ドル相当と見積もり、その動きを追った。
North Korea Steals USD 6.36 Billion From Binance in the Largest Hack in History(TRM Labs)(外部)
発行体ごとの凍結の時刻と金額、Arbitrumのセキュリティカウンシルによる資金移転を含む流出の時系列を、チェーン別に示した。
EIP-7702: Set Code for EOAs(Ethereum Improvement Proposals)(外部)
EIP-7702の仕様。認可データの署名やnonceの検査方法と、委任が変更・解除されるまで続く仕組みを定めている。今回の手口の土台。
【Crypto Verse関連記事】
Arbitrumセキュリティカウンシルの緊急措置(Binance流出事件・8,426ETH凍結)と「止める権限は誰のものか」の問いを、より広い文脈で理解するための関連記事をご案内します。取引所流出・ハック事例・ステーブルコイン凍結能力とガバナンス・Ethereum L2プロトコル改革と緊急対応・AI×セキュリティを横断的に読むことで、「権限の所在と手続きの透明性」が立体的に見えてきます。
取引所流出・ハック事例
- Bitgetで約3億8800万ドルが不正流出、CEOは回収に慎重な見方 → 本記事内で明示的に言及される、9月のBitget流出動向。「Binance:Arbitrum緊急措置で凍結実行」「Bitget:XRPネイティブ資産は誰にも凍結できない」の対比を両記事併読で立体的に理解できます。
- Hinkal約82万ドル流出—プライバシー保護protocolが「証明なし入金」で破られた皮肉 → 本記事の流出事案動向と並ぶ、プライバシープロトコル脆弱性事例動向。
- Coldcardのシード生成に欠陥、第4波疑いを含め約1,816 BTC流出の暫定推計—競合取引は被害者と攻撃者の双方の手段に → 本記事の流出事案動向と並ぶ、ハードウェアウォレット側の鍵生成脆弱性事案。
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ステーブルコイン凍結能力・ガバナンス
- ステーブルコイン「凍結」の定義なきまま―ABAが求めた4点 → 本記事のTether/Circle凍結動向と直接連動する、ステーブルコイン凍結能力の制度整備論点動向。「発行体による凍結機能」「凍結の定義整理」両軸の論点を理解できます。
- 【解説】Swift台帳・XRP・USDC|その価値は誰の負債として運ばれるか → 本記事の負債構造とガバナンス権限動向と直接連動する、3設計の負債構造対比。「USDC:発行体負債」「BTC/XRP:ネイティブ資産で負債構造なし」の構造を理解できます。
- OCC、GENIUS法の最終規則を公表 ステーブルコインの利回り禁止で第三者経由の「推定」を削除 → 本記事のステーブルコイン凍結動向と並ぶ、米国ステーブルコイン規制動向。
Ethereum L2・プロトコル改革・緊急対応
- XRP Ledger、アメンドメント投票を経ずに脆弱性を修正 10年以上で初 → 本記事のプロトコル緊急対応動向と直接連動する、10月のXRPL緊急修正動向。「Arbitrum:Inboxアップグレードで署名なし移転」「XRPL:アメンドメント手続きを飛ばして即時配布」いずれも通常手続きバイパスの事例として対比を理解できます。
- Polygonが直してから話した理由—非公開で先に配る手順が残した記録 → 本記事のL2緊急対応動向と並ぶ、Ethereum L2の緊急対応手続き事例動向。
- Bitcoin Core、AIで容易に見つかる脆弱性は非公開期間なしで修正・公表へ 開示方針を改定 → 本記事のプロトコル緊急対応動向と並ぶ、BTC本体の開示方針改定動向。
AI×セキュリティ
- Anthropic報告が示すKYCの死角|本人確認は偽造されず中継された → 本記事の取引所セキュリティ動向と並ぶ、AI×業界セキュリティ脅威事例動向。
- Ethereum研究者ドレイク氏が「bunker mode」提唱、AIによるECDSA解読に備え → 本記事のEthereum L2鍵管理動向と並ぶ、AI脅威下での鍵管理論点動向。
直前・直前日前姉妹記事
- ソニー、Soneiumでエンタメ事業の育成プログラム開始 トークン計画の扱いは資料で異なる → 本記事の直前姉妹記事。「ソニー:クリエイター/ファン主権の経済圏」「Arbitrum:止める権限の所在」いずれも2026年10月下旬のEthereum L2上の権限論点動向を対比して理解できます。
- Google Cloud、銀行向けMPCカストディをプレビュー 秘密鍵を組み立てずに署名 → 本記事のEthereum L2上の鍵管理動向と並ぶ、銀行向け鍵管理動向。「Google:単一の場所で鍵を保持しない」「Arbitrum:12人中9人の署名で緊急措置」の権限分散論点対比を理解できます。
【編集部後記】
資金の移転先となったアドレスは、0x0000…0DA0です。末尾の3文字は16進数の「DA0」で、最後はアルファベットのOではなく数字の0ですが、並べると「DAO」と読めます。
偶然なのか意図なのかは、公式報告に書かれていません。ただし、このアドレスの資金を動かせる主体について、公式フォーラムはArbitrumDAOの投票のみと説明する一方、別の公式説明を引用した報道ではSecurity Councilによる追加措置にも触れています。止めた資金の行き先がどの手続きで決まるのか、今後の公式説明を確認したいと思います。その投票がどんな議論を経て行われるのか、記録が残るのを待ちたいと思います。
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