Last Updated on 2026年9月14日 by Co-Founder/ Researcher
「サトシは四人だった」。9月に流れたこの見出しの元をたどると、記事の本文には、本人が特定の説を確約しなかったと書き添えられていました。では何を語っていたのか。行き着くのは人数の当てっこではなく、初期のビットコインが使っている出力形式と、量子対策の提案がそこに置いた例外の話です。
ビットコインの創造者サトシ・ナカモトは四人だったかもしれない。Rippleの名誉CTO、デビッド・シュワルツ氏のこの発言を、2026年9月10日にTimes Tabloidが「衝撃の暴露」として報じた。ただし同記事自身が、氏は特定の説への支持を確約しなかったと書き添えている。氏の発言を伝える資料をたどると、2026年4月にも同種のやり取りが残っている。
鍵へのアクセスはすでに失われている可能性が高い、四人なら開けるのに複数人が必要かもしれない、いくつかの鍵は保管されなかったかもしれない。いずれも可能性として並べられた記述である。四人という数字は2022年にはコミュニティの問いかけにも登場しており、氏はこの人数を条件として扱う姿勢を取り続けている。
From: Former Ripple CTO Drops Major Bombshell About Bitcoin Creator Satoshi Nakamoto
【編集部解説】
まず押さえておきたいのは、四人説をシュワルツ氏の確定した見解として読むことには注意が必要だ、という点です。
見出しは「衝撃の暴露」と打たれています。ところが記事の本文には、氏が特定の説への支持を確約しなかったと書き添えられています。引用されている発言も「〜かもしれない」という可能性の形で始まっており、断定として提示されたものではありません。
氏がこの話題に触れた記録は、9月のクリップだけではありません。2026年4月のやり取りを伝える資料には、鍵へのアクセスについての氏の見立てが掲載されています。サトシが誰であれ、いま生きている人間のうちに鍵へアクセスできる者はいないだろう、という趣旨の記述です。同じ資料には、四人なのだとすれば鍵にアクセスするのに複数人が必要かもしれない、いくつかの鍵は保管されなかった可能性もある、という返答も掲載されています。
ここで注意したいのは、4月のやり取りと9月の音声クリップが別の資料だという点です。4月の記録をもって、9月の発言が報道によって歪められたと結論づけることはできません。言えるのは、4月の時点で氏が四人という人数を条件として扱い、そこから複数の可能性を並べていたという範囲までです。
四人という数字の来歴
この「四人」という数字は、氏が最初に持ち出したものとは限りません。
2022年10月には、XRPコミュニティの参加者が氏に対し、あなたは「サトシ四人組」の一人ではないか、と問いかけた記録が残っています。その参加者は、サトシの2011年4月の通信と、同年5月に始まったとされるXRP Ledgerの開発を結び付けていました。XRP Ledgerの公式な沿革が開発開始として示しているのは2011年という年までで、月は特定されていません。
別のやり取りとして、2024年5月には、Qtの知識をめぐる文脈で、自分とニック・ブーガリス(Nik Bougalis)氏について同様の可能性に言及したと報じられています。自分にはサトシに必要な技能がおおむね揃っているが、Qtだけは知らない。ブーガリス氏は知っているだろうから、二人が「サトシ四人組かなにか」の二人だと推測するのはありうる話だ、真実ではないが——という言い回しでした。
「かなにか」という表現に、この数字との距離が出ています。氏は自身の関与については明確に否定する一方、サトシの人数や鍵の状態については、いずれも可能性の並列として語っています。
「3-of-4」をオンチェーンの署名条件として読まない
ここで技術的な整理が必要です。伝えられた内容には四人のうち三人という構成が出てきますが、これをサトシ保有と推定される出力に設定されていた署名条件として読むことはできません。
サトシ保有と推定される初期の採掘報酬には、公開鍵をブロックチェーン上に直接記録するP2PK(Pay-to-Public-Key)形式の出力があります。P2PKの支出条件は、記録された公開鍵に対応する署名が一つあることです。複数人の署名を要求する仕組みではありません。
マルチシグの機能と、標準取引としての扱いは区別が必要です。OP_CHECKMULTISIGは当初から有効なopcodeで、古いクライアントやマイナーも非標準の取引として扱っていました。これを標準の取引形式として定めたのが2011年10月のBIP-11で、その対象は鍵の総数が3以下の構成です。3-of-4はこの対象に含まれません。2012年のP2SH(BIP-16)は、こうした複雑な署名条件を扱いやすくする仕組みです。
つまり「機能が無かった」のではなく、「サトシの出力はそういう形式ではない」というのが正確なところです。P2PKの秘密鍵を、人間の側で分けて保管していたという仮説なら技術的には考えられます。ただし実際にそう運用されていたという証拠はなく、音源で発言の意図を確かめることもできていません。オンチェーンには痕跡が残らない領域の話です。
初期P2PKの救済が難しい理由
この話が抽象論で終わらない理由は、いま進行しているビットコインの量子対策のなかにあります。
2026年2月に割り当てられたBIP-361は、ポスト量子署名への移行と、従来のECDSA・Schnorr署名のサンセットを組み合わせたドラフト提案です。フェーズAで量子脆弱なアドレス宛の送金を禁じ、その2年後のフェーズBで、従来署名による支出に量子安全な救済プロトコルの条件を課します。
注目したいのは、この救済プロトコルの成立条件です。提案は、正当な保有者と量子攻撃者のあいだにある「知識の非対称性」を利用すると説明しています。たとえば鍵の導出経路に強化導出を含むBIP-32ウォレットなら、親の秘密鍵を知っていることを利用した救済方法が考えられる。量子攻撃者が子鍵からその親秘密鍵まで得ることは、非常に難しいとされています。
ところが提案は、こうも書いています。P2PK出力については既知の知識の非対称性がないため、救済プロトコルを構築することは現時点では不可能と考えられている、と。サトシ保有と推定される初期のP2PK出力では、BIP-32の親鍵を利用する救済経路を使えないということになります。
これは、将来にわたって救済が不可能だという意味ではありません。むしろ、ここに手を打とうとしているのが、当サイトが2026年5月に扱ったPACTsです。量子攻撃が可能になるより前に、自分がその鍵を制御していたという証拠を残しておく。つまり存在しない非対称性を、あらかじめ作っておくという発想になります。ただしこれは、ビットコイン側が将来そうした救済経路に対応することを前提とした提案です。いますぐ使える救済手段ではありません。
サンセットという未来の締め切りが実際に設定されれば、鍵を持つ人には行動する誘因が生まれます。救済の経路を持たない出力の保有者にとっては、それがもっとも厳しい形で働きます。もっともBIP-361はまだドラフトで、採用も発動時期も決まっていません。いま反応がないことは、鍵を使える人がいないことの証明にはなりません。氏の言葉も、断定ではなく見込みとして述べられたものです。
名前を当てる作業と、鍵を動かせることの証明
2024年10月以降、サトシの正体をめぐる大型の調査が立て続けに公開されました。HBOのドキュメンタリー『Money Electric』はピーター・トッド氏を、ニューヨーク・タイムズの調査はアダム・バック氏を挙げています。2026年4月22日公開の『Finding Satoshi』は、報道によれば、ハル・フィニー氏とレン・サスマン氏の共同制作説を提示しています。
ここで分けて読みたいことがあります。人物を推定する調査と、初期コインの鍵をいま制御できることの証明は、別の作業です。仮にサトシの鍵で署名がおこなわれたとしても、それが直接示すのは鍵を制御しているという事実であって、17年前にコードを書いた人物と同一であることまでは示しません。逆に、誰かの正体が特定されたとしても、鍵が使える状態にあるかどうかは別問題として残ります。
氏は2026年5月、クレイグ・ライト氏への反論のなかで、「サトシ」という呼び名が何を指すのかを説明しています。それは、サトシに帰されている事柄をおこなった誰か、あるいは何かのことだ、と。
ライト氏については、英国高等法院が2024年3月14日に法廷で結論を示し、同年5月20日の書面判決で理由を詳述しました。裁判所は、ライト氏がホワイトペーパーの著者ではなく、2008年から2011年にかけて当該のペンネームを用いた人物でもなく、ビットコインシステムの作成者でもなく、初期版ソフトウェアの著者でもないと認定しています。
日本の読者にとっての意味
この話は、遠い伝説の解釈論に見えて、手元の設計と地続きです。
複数人で鍵を管理するという発想は、法人の資産管理、DAOの運営、相続の設計でも論点になります。ここで区別しておきたいのは、オンチェーンのマルチシグと、秘密鍵そのものを分割して配る方式が別物だという点です。前者は署名条件としてチェーンに記録され、後者はチェーンの外側の運用になります。
どちらにしても、冗長性をどう設計したかで結果が変わります。必要な鍵の数に余裕を持たせておけば一部の紛失には耐えられますし、全員必須の構成にすれば一人が失うだけでアクセスを失います。3-of-4であっても、必要な鍵やシェアを復旧できず、手元に一人分しか残らなければ動かせません。
この仮説から持ち帰れるのは、長期の鍵管理という論点です。複数人の協力を必要とする設計を選ぶのであれば、人の死亡や連絡不能だけでなく、バックアップを含めた鍵やシェアへのアクセスを何十年も維持できるかが問われます。サトシが実際にその方式を採っていたかどうかは、確認されていません。
そして、初期のコインが長く動かないことは、市場では売り圧力の不在として読まれてきました。元の保有者が鍵を失っているのなら、その保有者による売却の可能性は下がります。ただし、それで資産が安全になるわけではありません。公開鍵がチェーン上に露出している以上、十分な能力を持つ量子攻撃者が現れれば、秘密鍵を導出して動かすことは理論上できてしまいます。BIP-361によれば、2026年3月1日時点で全ビットコインの34%超が公開鍵をオンチェーンに露出させています。
「動かない」ことが安心の根拠だった状態から、「誰も動かせないまま無防備に置かれている」という状態へ。同じ事実の意味が、量子計算機の進展によって反転しうる。PACTsやBIP-361のような提案が並行して出てきている理由は、ここにあります。
サトシが一人だったのか四人だったのかは、この先も確定しないかもしれません。それでも、この問いを鍵管理の問題として立て直すことには意味があります。正体は当てられなくても、鍵がどういう形式で置かれ、どういう条件なら救えるのかは、技術の言葉で議論できる。ビットコインが創造者を必要としない設計であることを、長く続く初期コインの静止が、いちばん静かな形で示し続けています。
【用語解説】
サトシ・ナカモト
ビットコインの原論文を公表し、初期の実装を進めた人物または集団の名義。2011年ごろを最後に公の場から姿を消しており、正体は特定されていない。
P2PK(Pay-to-Public-Key)
初期のビットコインで使われた送金形式。受取人の公開鍵をブロックチェーン上に直接記録し、その鍵に対応する署名ひとつで支出できる。公開鍵が露出したままになる点が、量子計算機に対する弱点とされる。
OP_CHECKMULTISIG
複数の署名を検証するビットコインの命令コード。当初から有効な命令として存在していたが、標準的な取引形式として扱われるようになったのは後年である。
マルチシグ
複数の鍵のうち一定数の署名がそろわないと資産を動かせない仕組み。N個の鍵のうちM個を要求する構成をM-of-Nと表記する。
BIP-11
2011年10月に割り当てられた提案。M-of-Nのマルチシグを標準の取引形式として定めた。対象は鍵の総数が3以下の構成に限られている。
P2SH(BIP-16)
2012年の提案。複雑な支払い条件をハッシュ値として記録し、支出時に条件そのものを提示する方式。多数の鍵を使う構成を扱いやすくした。
3-of-4
4本の鍵のうち3本の署名を要求する構成を指す表記。
BIP-361
2026年2月に割り当てられたドラフト提案。ポスト量子署名への移行と、従来のECDSA・Schnorr署名のサンセットを2段階で進める内容。
サンセット
既存の仕様を、あらかじめ告知した期限で段階的に無効化すること。BIP-361では従来署名による支出が対象となる。
ECDSA/Schnorr
ビットコインが現在使っている電子署名方式。いずれも楕円曲線暗号に基づくため、十分な能力の量子計算機に対しては脆弱とされる。
知識の非対称性
正当な保有者だけが持ち、攻撃者は持たない情報のこと。BIP-361の救済プロトコルは、この差を証明の根拠として利用する設計になっている。
BIP-32/強化導出
ひとつの種から階層的に鍵を生成する方式と、その導出手順のうち親の秘密鍵を必要とするもの。子の鍵から親の秘密鍵をさかのぼることは非常に難しいとされる。
PACTs
Paradigmが提案した構想。量子攻撃が可能になる前に、自分がその鍵を制御していたという証拠を残しておき、将来の救済経路に備える。
【参考リンク】
Ripple(外部)
XRPを用いた国際送金・決済インフラを提供する米国企業。デビッド・シュワルツ氏は2025年末にCTOを退き、名誉CTO兼取締役を務めている。
XRP Ledger(外部)
2012年に公開された分散型台帳の公式サイト。沿革ページで開発の経緯と主要な年表を公開しており、開発開始は2011年としている。
Paradigm「PACTs」(外部)
量子サンセットに備え、初期ビットコインを動かさないまま鍵の制御を証明する仕組みを提案した技術文書。記事で扱った提案の原典。
Bitcoin Improvement Proposals(外部)
BIP-11、BIP-16、BIP-361などビットコインの仕様提案を管理する公式リポジトリ。記事で引用した各提案の原文を参照できる。
英国司法府 COPA v Wright 判決文(外部)
クレイグ・ライト氏がサトシ・ナカモトではないと認定した2024年5月20日付の書面判決。理由を含む全文をPDFで公開している。
【参考記事】
Ripple CTO Emeritus David Schwartz Explains Why No One Alive Likely Has Satoshi’s Keys(外部)
2026年4月のやり取りを掲載。鍵へのアクセスは失われた可能性が高いという見立てと、四人なら複数人が必要かもしれないという返答を伝えている。
Who Is Satoshi? Ripple’s Schwartz Pushes Back on Craig Wright’s Take(外部)
2026年5月、クレイグ・ライト氏への反論のなかで、「サトシ」という呼び名がそもそも何を指すのかを説明した発言を扱っている記事。
Todd, Back, Sassaman and Finney Named Satoshi in 3 Investigations That Found No Proof(外部)
2024年10月以降に公開された3件の調査が挙げた4人の候補を整理し、いずれも決定的な証明には至っていない経緯をまとめている。
Ripple CTO David Schwartz to Step Back, Joins Board(外部)
2025年9月30日に発表された、13年務めたCTOからの退任と名誉CTO就任、取締役への就任、後任人事の内容を伝えるニュース記事。
Ripple CTO David Schwartz says he could have been part of Satoshi(外部)
2022年10月の発言を扱う。ビットコインの構築に関わったのは単独ではなく小さなグループだった可能性への言及を伝えている記事。
Ripple CTO Responds to Claims He Is One of ‘the Satoshi Four’(外部)
2022年にXRPコミュニティから寄せられた「サトシ四人組」の問いかけと、その根拠として挙げられた時系列を記録している記事。
【編集部後記】
BIP-361の提案書には、サトシ本人の言葉が引かれています。失われたコインは、ほかのみんなのコインの価値をわずかに上げる。全員への寄付のようなものだ——という趣旨の投稿です。
提案の著者たちは、これに続けて自分たちの系を置きます。量子で回収されたコインは、ほかのみんなのコインの価値を下げる。全員からの窃盗だ、と。
サトシの言葉を根拠にした提案が、結果としてサトシ自身のコインを凍らせる方向へ働く。この入れ子を、著者たちはどこまで意識して引用したのでしょうか。

