Last Updated on 2026年10月24日 by Co-Founder/ Researcher
国が全員に持たせるIDと、利用者が手元に持ち、見せる範囲を選ぶID。自民党のサイバー提言は、デジタル庁に向けた同じ項目に、この二つを並べました。カードの取得の義務付けは、5月に続く提言です。本人確認を安全にする道と、利用者が選ぶ自由は、どう折り合うのでしょうか。
自由民主党政務調査会の国家サイバーセキュリティ戦略本部は、2026年10月20日付で取りまとめ、23日に高市早苗首相へ申し入れた「サイバーセキュリティ対策の抜本的強化に関する提言」で、デジタル庁に対し、マイナンバーカードによる本人確認の徹底と、次世代認証基盤の活用を求めた。運転免許証の券面コピーによる本人確認が個人情報の漏えいにつながった事案や、2027年4月に対面の本人確認でICチップの読み取りの義務化などが施行されることを挙げ、カードの民間利用を幅広く加速させ、取得の義務付けを検討するよう求めている。
あわせて、公的個人認証(JPKI)の民間システムへの組み込みを促し、web3時代のトラスト基盤として、分散型ID(DID)と検証可能なクレデンシャル(VC)の有用性を検証するよう求めた。
From: 国家サイバーセキュリティ戦略本部が提言を申し入れ
【編集部解説】
この提言は、サイバー攻撃への備えを全省庁に求める長い文書です。そのうちデジタル庁に向けた項目に、性格の異なる二つの考え方が並んでいます。
一つは、マイナンバーカードの取得の義務付けを検討すること。国が全員に、同じ一枚のIDを持たせる方向です。もう一つは、分散型ID(DID)と検証可能なクレデンシャル(VC)の有用性を検証すること。利用者が証明書を手元で管理し、相手に応じて見せる範囲を選べる仕組みにつながる方向です。
どちらも、本人確認を安全にするための提案です。ただ、IDを「持たせる」のか、利用者が「持ち歩き、選んで見せる」のかで、本人確認の主導権が誰の手に置かれるのかは変わります。本稿では、この二つを並べて読みます。
「取得の義務付け」は、5月に続く提言
カードの取得の義務付けが自民党の提言に入ったのは、今回が初めてではありません。党のデジタル社会推進本部は5月の提言「デジタル・ニッポン2026」で、「マイナンバーカードの罰則なしの取得義務化へ」という項目を立て、法的に義務付ける必要性と実効性を検討するよう政府に求めていました。
これに対し、松本尚デジタル相は5月22日の会見で、カードの保有者はすでに約1億人で、年に約450万人のペースで増えていると説明しました。そのうえで、アンケートでは、どうしても持ちたくない人が約400万人いるとの認識を示し、義務化すべきだとも必要ないとも、いま明確には言えないと述べています。7月21日に閣議決定された政府の重点計画の本文にも、取得の義務付けは書かれていません。
いまの番号法は、カードを本人の「申請に基づき」作成すると定めています。取得は任意で、総務省によると9月末時点の保有枚数率は84.5%です。今回の提言は、5月に党が検討を求め、7月の政府の重点計画の本文には盛り込まれなかった取得の義務付けを、サイバー対策の文脈で改めて示した形です。
提言が義務付けに込めた理由
提言の理由づけは具体的です。提言は、不正アクセスの事案で、本人確認に使った運転免許証の券面のコピーから個人情報が漏えいしたことを挙げています。また2027年4月には、犯罪収益移転防止法などに基づく対面の本人確認の方法が見直され、写真付きのICチップ搭載書類を提示する方式では、ICチップの情報の読み取りが求められるようになります。対象はマイナンバーカードに限らず、運転免許証や在留カードなども含まれます。
券面の画像やコピーだけに頼らず、ICチップに記録された氏名や顔写真などを読み取って照合する。そうした安全度の高い本人確認の手段を社会の隅々まで行き渡らせるには、カードを全員が持っている状態が近道だ、という考え方です。提言は義務付けと並べて、カードと関連システムの専門家による総点検、デジタルに不慣れな人への支援、スマートフォンへの搭載なども求めています。義務付けだけを切り出すのではなく、安全性と使いやすさを高める施策とセットで提示している点は、公平に読んでおくべきところです。
「持ち歩くID」は、政府の計画にすでにある
もう一方のDID/VCは、ウォレットと組み合わせることで、利用者が証明書を手元で管理し、提示を選ぶ設計を可能にする技術です。ただし、利用者の主導権がどこまで実現するかは、採用する方式と運用によります。VCは、資格や属性などの情報を、発行元の電子署名によって検証できる形にしたデジタルの証明書です。利用者はそれをスマートフォンのウォレットに保管し、必要な相手に示します。方式によっては、生年月日を見せずに「成人である」ことだけを示す、といった選択的な開示もできます。
政府は、この方向の準備をすでに進めています。デジタル庁の有識者会議は2026年4月の報告書で、VCと、証明書を保管・提示するデジタルアイデンティティ・ウォレット(DIW)の活用を整理しました。選択的開示によるデータの最小化や、提示する相手ごとに異なる識別子を使って追跡されにくくする考え方にも触れています。重点計画は、VC・DIWを使う際の共通の要件を、2027年度中をめどに取りまとめるとしています。
興味深いのは、報告書が、検証する側が情報の提示を求める理由を示さなければ、利用者は選びようがなく、選択的開示は実質的に意味をなさないという意見を記していることです。見せる範囲を選べる技術は、選ぶ自由を支える仕組みがあって初めて働く、ということです。
なお、提言は「DID/VC」と書いていますが、政府の重点計画と報告書が使っているのは「VC・DIW」という言葉です。DIDはブロックチェーンを使って実装されることもありますが、VCそのものは特定の台帳を前提としません。提言の「web3時代のトラスト基盤」という表現は、その技術の系譜を指したものと読めます。
EUは「任意」を条文に書いた
同じ課題に、EUは法律で一つの答えを出しています。EUの規則2024/1183によって改正されたeIDAS規則は、各加盟国に、少なくとも一つの「欧州デジタルIDウォレット」を提供するよう義務付けました。対象にはEU域内の市民や居住者、事業者が含まれ、個人への発行と利用は無料です。欧州委員会は、2026年末までに各国が提供すると説明しています。
その一方で、規則の第5a条は、ウォレットの利用は任意であり、使わない人が公的・民間のサービスを利用するうえで制限や不利益を受けてはならないと定めています。データは利用者の単独の管理のもとに置かれ、選択的開示ができることも求めています。国がIDの仕組みを用意し、それを使うかどうかは個人に委ねる、という線の引き方です。
日本のマイナンバーカードとEUのウォレットは、仕組みも制度の成り立ちも異なり、単純には比べられません。それでも、国が提供するIDを「持たない自由」を法律のどこに置くのかという問いは、日本でも避けて通れないはずです。
二つの方向は、両立できるか
カードの普及とVC・DIWは、本来は対立するものではありません。報告書は、身元の証明はマイナンバーカードの公的個人認証などですでにデジタル化されたとしたうえで、議論の題材として、自治体が発行する住民票の写しをVCにする例を挙げています。利用者が勤務先や金融機関に世帯の情報を示すための使い方で、本人確認には使わない想定です。身元はカードで確かめ、属性はVCで示す。役割を分ければ、二つは組み合わせられます。8月に取り上げた大阪府の補助事業でも、鍵は利用者の手元にあっても、属性を保証するのは外部の信頼の仕組みだという構図が見えていました。
問われるのは、その土台となるカードを「全員に持たせる」かどうかです。取得を法的に義務付けるなら、義務の対象や内容、申請と交付の手続きなどを、法制度として検討する必要があります。申請に基づいてカードを作成するいまの仕組みをどう扱うかは、制度の設計しだいです。今回の提言は、あくまで検討を求める段階です。
利用者が自分で証明書を持ち、見せる範囲を選ぶ。その技術を育てることと、そもそもIDを持つかどうかを選べることは、どちらも本人確認の主権に関わります。2027年度に向けてVC・DIWの要件づくりが進むなかで、「選んで見せる自由」と「持たない自由」をどう設計に組み込むのか。そこに、日本のデジタルIDのかたちが表れることになります。
【用語解説】
公的個人認証(JPKI)
マイナンバーカードのICチップに格納された電子証明書を使い、オンラインで本人確認や電子署名を行う国の仕組み。
分散型ID(DID)
Decentralized Identifier。特定の事業者が一元管理するIDに頼らず、利用者自身が管理できる識別子。W3Cが仕様を定めている。
検証可能なクレデンシャル(VC)
Verifiable Credential。資格や属性などの情報を、発行元の電子署名によって検証できる形にしたデジタルの証明書。
デジタルアイデンティティ・ウォレット(DIW)
個人や法人が、VCなどの証明書をスマートフォンなどに保有・管理し、第三者に提示するための仕組みやアプリ。デジタル庁の文書で使われる用語。
選択的開示
証明書に含まれる情報のうち、必要な項目だけを選んで相手に示すこと。対応しているかどうかは、VCの方式による。
番号法
マイナンバー制度を定める法律。正式名称は「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」。カードは本人の申請に基づいて作成すると定める。
犯罪収益移転防止法
マネーロンダリングなどを防ぐため、金融機関などに取引時の本人確認を義務付ける法律。施行規則の改正で、2027年4月から本人確認の方法が見直される。
重点計画
政府が毎年閣議決定する「デジタル社会の実現に向けた重点計画」。デジタル政策の工程と目標を示す。
eIDAS規則
EU域内の電子的な本人確認や電子署名の仕組みを定める規則。2024年の改正(規則2024/1183)で、欧州デジタルIDウォレットが導入された。
欧州デジタルIDウォレット
EUの各加盟国が提供する、本人確認や証明書の提示に使えるデジタルのウォレット。利用は任意とされている。
保有枚数率
交付されたマイナンバーカードから、死亡や有効期限切れなどで廃止された分を除いた枚数を、人口で割った割合。
【参考リンク】
デジタル庁 デジタル社会の実現に向けた重点計画(外部)
政府が2026年7月21日に閣議決定した重点計画の本文と、重点政策の一覧などの関連資料を掲載する、デジタル庁の公式ページ。
警察庁 犯罪収益移転防止法施行規則の改正に関するQ&A(外部)
2027年4月に施行される本人確認方法の見直しについて、警察庁が特定事業者向けに示した質問と回答の一覧をまとめた公式の資料。
欧州委員会 European Digital Identity(外部)
欧州委員会が、欧州デジタルIDウォレットの目的や機能、各加盟国の提供時期の見通しなどを、一般の利用者向けに説明しているページ。
W3C Verifiable Credentials Data Model v2.0(外部)
検証可能なクレデンシャル(VC)のデータモデルを定めたWeb標準の仕様書。発行者・保有者・検証者の役割と選択的開示を扱う。
【参考記事】
デジタル・ニッポン2026(自由民主党)(外部)
自民党デジタル社会推進本部が2026年5月に公表した提言。マイナンバーカードの罰則なしの取得義務化の検討を政府に求めた。
松本大臣記者会見(令和8年5月22日)(デジタル庁)(外部)
自民党提言の取得義務化について問われた松本デジタル相が、カードの保有の状況と、持ちたくない人の存在に触れた会見の公式の記録。
令和7年度 属性証明の課題整理に関する有識者会議 報告書(デジタル庁)(外部)
VCとデジタルアイデンティティ・ウォレットの行政での活用に向けた論点とリスク対策を整理し、次年度の取り組みを示した報告書。
【編集部後記】
松本デジタル相は5月の会見で、もう一つ数字を挙げていました。カードを持っていない人は残り約2,000万人で、保有者は年に約450万人ずつ増えている、というものです。
単純に割れば、4年あまりで残りの約2,000万人に届く計算です。それでも大臣は、どうしても持ちたくない人が約400万人いるとの認識を示しました。義務付けの議論が最後に向き合うのは、この人たちです。持たないことを選ぶ理由に耳を傾けることも、本人確認の主権を考える入口になるはずです。

