Last Updated on 2026年3月21日 by Co-Founder/ Researcher
一度は凍結されたはずの国家プロジェクトが、装いを新たに再始動した。韓国銀行のデジタルウォン実証実験「Project Hangang」は、ステーブルコインとの縄張り争いを経て第2フェーズに突入し、今度は実際の政府補助金を流すところまで踏み込む。
韓国銀行は2026年3月18日、デジタルウォンのパイロット第2フェーズを開始した。「Project Hangang」の第2フェーズには慶南銀行とiM Bankが新たに加わり、参加行は計9行となった。ホールセールCBDCレイヤー上に構築されたウォン連動型の預金トークンを大規模にテストし、政府補助金の支払いおよび個人間(P2P)送金の実証を行う。
韓国銀行デジタル通貨企画チームのキム・ドンソブ氏によれば、政府は2026年上半期中にデジタル通貨での補助金交付開始を目指しており、電気自動車充電インフラ向け補助金が最初の活用事例となる見通しだ。またAIエージェントへの決済手段としての活用も計画されている。
一方、暗号資産の取引・発行を包括的に規制するデジタル資産基本法(DABA)は、韓国ウォン(KRW)連動型ステーブルコインの発行権限をめぐる規制当局間の対立により、制定が遅れている。
From:
Bank of Korea adds two banks to digital won trials as real-world testing begins
目次
【編集部解説】
一度止まったプロジェクトの再起動
今回の「Project Hangang フェーズ2」の開始は、韓国銀行(BOK)にとって単なるパイロット拡大ではありません。一度中断を余儀なくされたプロジェクトが、再起動されたという点に注目する必要があります。
2025年6月、BOKはウォン建てステーブルコインをめぐる議論が過熱したことを受け、フェーズ2の協議を一時停止すると参加行に通知していました。カカオやネイバーがステーブルコインの商標登録を申請し、国内8大銀行がウォン建てステーブルコイン発行の合弁企業設立を検討するなど、民間主導の動きが急加速したためです。CBDCとステーブルコインの「縄張り争い」が表面化したわけです。
フェーズ1の課題と二層構造の設計
フェーズ1の実績を振り返ると、課題も見えてきます。参加者10万人に対して、実際の決済額は6億9000万ウォンにとどまり、預金トークンへの転換総額の42.1%にすぎませんでした。新韓(シンハン)銀行の配達アプリ「タンヨヨ(Ttangyeyo)」が全体利用の46.2%を占めており、特定チャネルへの偏りが顕著でした。今回フェーズ2でダイソーなどの生活密着型の大型プラットフォームを取り込もうとしているのは、こうした反省を踏まえた戦略的な判断です。
技術的な位置づけとして、BOK自身がこのデジタル通貨を「CBDCとステーブルコインの中間的な存在」と表現している点は見逃せません。中央銀行がホールセールCBDCを発行し、商業銀行がそれを担保に「預金トークン」を発行するという二層構造は、完全な分散型ステーブルコインとは異なり、中央銀行の信用と既存の金融インフラを維持しながらブロックチェーンの利点を取り込む設計です。金融安定性と技術革新の両立を狙っています。
プログラマブルマネーとAIエージェント
実用面での最大のインパクトは、政府補助金の執行効率化にあります。韓国政府は2025年の補正予算で現金給付に約10.3兆ウォン(約70億ドル)、地域商品券に6000億ウォン(約4億ドル)を計上しましたが、こうした大規模な財政支出には不正受給や中間コストの問題がつきまといます。預金トークンに「使途制限」を設けることで、EV充電インフラ補助金であれば充電ステーション以外では使えないといった「プログラマブルマネー」の実装が可能になります。これは単なる決済の電子化ではなく、財政ガバナンスの変革です。
一方、AIエージェントへの決済手段としての活用計画は、このプロジェクトの射程の広さを示しています。人間ではなくAIが自律的に商品・サービスを購入する世界では、法定通貨に裏付けられたプログラマブルなデジタル通貨の存在が不可欠になります。BOKがこの点に言及したのは、単なる実験の枠を超えた将来設計として受け取るべきでしょう。
リスクと法制度の空白
潜在的なリスクとしては、いくつかの論点が残ります。将来的にステーブルコインが預金トークンと併存する段階では、BOKのスン・ジュニ氏が指摘するように、ステーブルコインには「コイン・ラン(取り付け騒ぎ)」のリスクがあり、準備資産の流動性問題もはらんでいます。中央銀行が直接裏付ける預金トークンとは異なり、民間発行のステーブルコインはこのリスクに対してより脆弱です。デジタル通貨の普及が進むほど、影響範囲は広がります。また、プライバシーの問題も看過できません。政府補助金をデジタルトークンで配布する仕組みは、個人の消費行動が中央銀行や政府に可視化される可能性をはらんでいます。この点についてBOKからプライバシー保護に関する具体的な方針はまだ示されていません。
法制度面では、デジタル資産基本法(DABA)の停滞がもたらす空白をProject Hangangが事実上「先回り」している構図があります。BOKのキム・ドンソブ氏は「Project Hangangで開発されたサービスは、将来のウォン建てステーブルコイン導入のプレビューになりうる」と述べており、技術的な実績を積み上げることで、法整備の議論をリードしようとする姿勢が見て取れます。BOKのロードマップでは、2026年下半期に一般向けの実取引を実施し、2027年からはステーブルコインと預金トークンの共存ユースケースの研究・開発に着手するとされています。
世界的な文脈で見れば、韓国のこの動きはCBDC開発の最前線のひとつです。フェーズ2では金融委員会(FSC)と金融監督院(FSS)も共同参加しており、中央銀行単独の実験から国家プロジェクトへと格上げされたことを意味します。アジアのデジタル資産市場において最も活発な国のひとつである韓国がどのモデルを選択するかは、他国の中央銀行や規制当局にとっても参照点となり得ます。
【用語解説】
CBDC(中央銀行デジタル通貨)
Central Bank Digital Currencyの略。中央銀行が発行するデジタル形式の法定通貨。民間企業が発行する暗号資産やステーブルコインとは異なり、中央銀行の信用を直接裏付けとする。
ホールセールCBDC
一般消費者向けではなく、中央銀行と商業銀行間の決済専用に設計されたCBDC。Project Hangangでは、このホールセールCBDCを基盤として、その上に商業銀行が一般向けの「預金トークン」を発行する二層構造を採用している。
預金トークン(Deposit Token)
商業銀行が顧客の預金を担保にして発行するデジタル通貨。ブロックチェーン上で管理され、QRコード決済などに利用できる。中央銀行が直接発行するCBDCとは異なり、既存の銀行システムとの親和性が高い。
プログラマブルマネー
あらかじめ条件を設定できるデジタル通貨の特性。例えば「EV充電インフラにのみ使用可能な補助金」や「特定の店舗でしか利用できない商品券」など、用途を制限した配布が技術的に可能になる。
コイン・ラン(Coin Run)
銀行預金の取り付け騒ぎ(バンク・ラン)のステーブルコイン版。市場が不安定になった際に多くの保有者が一斉に換金・償還を要求し、準備資産の流動性が追いつかず崩壊するリスクを指す。
デジタル資産基本法(DABA)
Digital Asset Basic Actの略。暗号資産の取引・発行を包括的に規制することを目的とした韓国の法整備構想。KRW連動型ステーブルコインの発行主体をめぐり、韓国銀行と金融委員会(FSC)の間で意見が対立しており、制定が遅れている。
AIエージェント決済
人間の指示なしに自律的に商品・サービスを検索・購入するAIシステムへの決済手段の適用。プログラマブルなデジタル通貨との親和性が高く、将来の自律型経済活動を支えるインフラとして注目されている。
【参考リンク】
Bank of Korea(韓国銀行)公式サイト(外部)
韓国の中央銀行公式サイト。Project HangangのCBDC実証実験を主導し、公式発表・技術文書を公開している。
CoinDesk(外部)
暗号資産・ブロックチェーン分野の国際的な専門メディア。今回の一次ソース記事を掲載。市場データや調査レポートも提供している。
Bloomingbit(英語版)(外部)
韓国発のブロックチェーン・デジタル資産専門メディア。BOK関係者の発言など韓国現地の一次情報に強い。
The Block(外部)
暗号資産・フィンテック分野の調査報道メディア。Project Hangangの中断経緯など一次情報に基づいた詳細な報道を行っている。
【参考記事】
Bank of Korea pauses CBDC project as local stablecoin adoption picks up speed(外部)
2025年6月にBOKがフェーズ2協議を一時停止した経緯を詳報。参加7行の平均インフラ投資額など数値データが豊富。
South Korea revives CBDC program for government subsidies(外部)
フェーズ2再起動の背景を報道。現金給付10.3兆ウォン・地域商品券6000億ウォンの数値を提供した記事。
BOK to Expand Digital Currency Pilot…Treasury Disbursements to Be ‘Tokenized’(外部)
フェーズ2公式開始を報じ、BOKによる「CBDCとステーブルコインの中間的存在」という位置づけや国家プロジェクト化の詳細を収録。
Bank of Korea: “Stablecoins still pose bank-run risks”…tests redemption via Hangang Platform(外部)
BOKのスン・ジュニ氏によるコイン・ランリスクの解説と、2027年以降のロードマップを収録したカンファレンス報告記事。
Daiso Joins Korea’s Second CBDC Pilot Program(外部)
フェーズ1の決済額6億9000万ウォン(転換総額比42.1%)など実績データと、フェーズ2参加企業の詳細を報道。
【編集部後記】
デジタル通貨が「AIエージェントの財布」になる未来、みなさんはどう感じますか?
補助金の使い道が技術的に制限されるプログラマブルマネーは、利便性と引き換えに私たちの経済的な自由をどう変えていくのか——韓国の実験は、そんな問いを私たちに投げかけているように思えます。引き続き一緒に追いかけていきましょう。

